【目指せFIRE】仕事つらい手取り18万円32歳が、投資で稼いで早期退職目指すブログ

こんにちは、きりんです。哲学・詩・瞑想などが好きな超絶内向型人間。基本人に話しかけるのが恐い。組織で働くの辛すぎて、早く仕事を辞めて半隠遁生活を送りたい。そんな不純な動機から投資で稼いで、早期退職を目指します。

死んだらどうなるのか考えてよく寝付けなかった話

小さなころ、ふとんの中で考えて寝つけなかったのを覚えています。「死んだらどうなるのだろう?」。考えれば考えるほど、そのわからなさに体がむずむずしてきます。もどかしさが大きくなってどうしようもなくなっては、自分に言い聞かせていました。「考えてもしかたがないんだから、今をいっしょうけんめい生きるんだ」。

 

子どもの頃に、死を考えることは、別に稀なのことではないのでしょう。そのことをだれかに表現するかは別として。わたしの場合、母に「死んだらどうなるんだろう」と疑問をぶつけたところ、「死んだら天国に行くんだよ。先に行って待ってるからね」と答えてくれました。まだ小学校に入る前だったと思います。しかし中学生になって同じことを聞いたときは、「それが分からないから、人間は死を恐れるのではないか」と答えてくれたのを覚えています。

f:id:Qilin:20210213124027j:plain

「こどものころ死について考えていて、怖いと感じた」と言っている人を、私は何人か知っています。

 

しかし、わたしの場合、感じていたのは「死が恐い」という気持ちだったのか。いや、そうではなかったと思います。そうではなく、死あるいは無を思い浮かべることができない、というもどかしさにどうしようもなく、体がむずむずして不安だったのだと、今振り返るとわかります。

 

幼いころ、身近に目の不自由な方がおられました。いつも賢い盲導犬のワンちゃんといっしょに歩いておられました。


わたしの抱く疑問はこうです。
「目がみえないってどんなことなんだろう?」。
この疑問は、目が見えない生活ってどういう暮らしなのか、とか、どんなお部屋に暮らしてどうやってご飯を食べているんだろう? といった疑問ではありません。そもそも目が見えないという「そのこと」そのものがどういうことなのか、という疑問です。


一生懸命、目が見えない状態を想像しようとして、ぎゅうっと目をつむりました。でも、見えてしまうのです。まぶたの裏の暗闇やカメラのフラッシュの後のようなぼんやりとした光が。暗闇では「何も見えない」わけですが、その「まっくらさ」は目に見えてしまっているわけです。これじゃあ本当に何も見えないわけではない、だってこの黒い暗闇が見えているじゃないか。じゃあ、本当に何も見えない、ってどういうことなの?

f:id:Qilin:20210213123519j:plain


死を思い浮かべることのもどかしさは、それとよく似ていました。死んだら、体が動かなくなって、冷たくなる。遺体が焼かれたら灰や骨だけになって、お墓に入る。そんなことはわかります。でも「その時、自分はどうなるのだろう? その時、自分はどこにいるのだろう? 死ぬと、自分は無くなってしまうの? だとするなら、自分が無になるってどういうことなの?」

 

「何も無い」「じぶんが無い」ということをそこで、一生懸命、想像しようとします。電気の消えた寝室の布団の中で、一生懸命目をつむって無のつもりになろうとします。でもやっぱり、まぶたのうらがわの闇はあるし、何もない空っぽな場所を思い浮かべて、これが無なのかな? と考えても、やっぱり「何もない空っぽな場所」が「ある」ことになっちゃって、それは「何も無い」ではないわけです。どうしても「何も無い、じぶんも無い」を思い浮かべることができません。「自分が死ぬということ」=「自分がいなくなる、無になる」ということなのだとしたら、どうしても自分が死ぬとどうなるのか、想像できない。それがむずむずして、すごくもどかしいのです。

 

それは、「死ぬのが怖い」というのとはちょっと違う気がします。どうしてもわからない、という壁にぶつかってしまった、というよりむしろ、壁に一歩近づくたびに、壁が一歩逃げていくような、もどかしさ。

「この世で一番でかい数!」を想い浮かべても、それに1を足すだけで、それよりでかい数ができてしまいますね。だから「この世で一番でかい数!」を思い浮かべられません(小学1年の時、クラスの友達に、一番大きい数は無い、数に終わりはないんだよ、と話したらその子は「うっそー!」と目を丸くして驚いて、ふたりで担任の先生に相談しに行きました。そうしたらやっぱり先生も数に終わりはない、と言ってくれました)。それは壁にぶつかりたくても、逃げてしまう壁を永遠に追いかけているような、手応えの無い、不確かな感覚です。

 

ですから、わたしにとって「死」とは、怖いとも言えないもの、ほんとうによくわからないもの、です。大人になったいまでもそうです。でも新しい発見もありました。「何も無い」ということは、意外と「ある」のではないか、わたしたちはすでにそれを知っているのではないか、ということです。それに気づいてから、ますます、「何も無い」は「怖い」ものではないのだと、思うようになりました。それについてはまた別に書こうと思います。