【目指せFIRE】仕事つらい手取り18万円32歳が、投資で稼いで早期退職目指すブログ

こんにちは、きりんです。哲学・詩・瞑想などが好きな超絶内向型人間。基本人に話しかけるのが恐い。組織で働くの辛すぎて、早く仕事を辞めて半隠遁生活を送りたい。そんな不純な動機から投資で稼いで、早期退職を目指します。

R4.8.18 FIREに向けた今のプラン

今の目標は、4500万円の資産を形成すること。そうすればFIREできる。

そうすれば、4%ルールで、年間180万円ずつ切り崩す。

つまり、月々15万円の収入で生活していけばよい。

今の月々の生活費は約11万円だから、それだけあれば健康で文化的な生活を営むことができる。

働き始めてからちまちま貯めたお金を全世界株式のインデックスファンドに投入し、かつ月々10万円ずつ積み立てていくと、約15年で目標の4500万円に到達する。しかしその時には、47歳である。

 

遠い。

 

少しでも早めるために、副業で稼ぐことを考える。

もし月々5万円副業で稼げたら、積み立てに加算できるし、資産運用で10万円分の収入があれば、組織に勤める必要がなくなる。もし今から5万収入が増えるなら7年でサイドFIREできる。39歳。

 

そういうわけで副業で稼ぐ力もつけたい。

 

今することは、

・10万円ずつ月々全世界株式に積み立て投資。

・副業で5万円稼ぐためのアクション。

西村佳哲『自分の仕事をつくる』

西村佳哲『自分の仕事をつくる』

副業のことを考えるために、読む。

副業、そしていつか独立して本業に、と。

 

「無理だろうそんなこと、非現実的な。そんなこと思っていると知られるだけでも恥ずかしい」

 

と自分の中の声が聞こえる。

その声は正しいのかもしれない。でも今はその声を無視したい。

 

以下は、この本を読んでの覚書。

さてこの本は、著者が、さまざまな働き方をしている世界中の人物にインタビューして、「仕事をする」ことについて考察を付している。主に、物を「つくる」という仕事の話が多かった。雑誌とか、パンとか、家具とか、建物とか…。

 

しかし、「つくる」というのは物ばかりでなく、仕事それ自体も様々な仕方で「つくる」ことができるのだな、と知る。世界には、いろいろな仕事の仕方がある。老人ホームを作る人の話が紹介されていたが、設計に先立って、相当な数の、世界中の老人ホームに訪問し、そこにある設備を自ら使って一時生活する、という体験をした、というエピソード。

 

「老人ホームを作る」際、「老人ホーム」というコンテンツは同じだったとしても、それを「どのようにして」作るか。それが変われば自ずと、作られるコンテンツのクオリティも変わってくる。

 

そして「どのようにして」という仕事の「仕方」の部分。その「仕事の仕方」というものも、デザイン可能だし、「作る」ということが可能なのだということ。

 

覚えておきたいと思ったのは、

・仕事をするにあたって、自分を疎外しないということ。自分を大事にする仕事の仕方をする。

・自分の生活の延長線上から、ものを作っていくこと。

・自分と言う個別的な存在の必要性を見つめていくことで、自分を越えた普遍的なニーズに触れることができるかもしれない。そこから生まれたものは、自分だけでなく他者にも役に立つものになるかもしれない。

・人は「仕事」を通して何かを「つくる」。「自分の仕事をつくる」というのは、メタ的な「仕事」である。

・「仕事は自分をつくり、自分を社会の中に位置づける」メディアだとするなら、「仕事をつくる」ということは、人の中につながろうとすることなのだと思う。自分も、相手も、疎外しない仕事を作りたい。大切なのは、生きた人間である。

大橋弘明『サラリーマンの副業の税金が全部わかる本』

『サラリーマンの副業の税金が全部わかる本』

タイトルの通り、今はどこかに勤めているが、同時に副業をしている人向けの本。

 

きょう、今後、副業を始めるとしたら…と考えて、基礎知識を得るために読む。

2時間ほどで、まずはばばばっと読んでしまった。

Q&A形式で、かかれており、わかりやすい。専門家向けというより、ほんとうにただのサラリーマンなどでもわかるように、一般向けの書き方。字も大きい。

読み終わって、税金に関して、とりあえず目先はどうすればよいかは、理解できた。所得が20万を超えるかどうかが、わかれめだ。

細かなところは、そののち、おいおいまた勉強すればよい。

 

以下は自分用のメモ。

・副業するとしたら、まず考えるべきは、

 1、住民税。2、所得税

 

2、所得税について。

副業して、所得税を払う必要が出てくるのは、副業での所得が20万を越えたら。そうなったら、「確定申告」を税務署へ、行う必要あり(一年に一度。2/16-3/15の間に)。今は、スマホで「電子申告」という方法もあったりするらしい。

 

・そもそも、所得の定義とは。「所得=収入-経費」

・所得に応じて、税率は変わってくる。そこで、節税するためには、「経費」をしっかり勘定することと、「所得控除」「税額控除」を使うことが大事。

・経費は、かかったもののレシートをきちんと集めて、集計する。レシートはお金と思う。(広告宣伝費、通信費、新聞・図書費、旅行・交通費、研修費、などは該当する可能性ありそう。)

・収入は、発行した請求書を集計。

 

・2、所得税は、20万を越えたらでOK。しかし、1、住民税は20万を越えなくても、払う必要あり。勤め先からの給与からの天引きではなく自分で払うときは、申告時「普通徴収」を選ぶ必要あり。

 

・本業をやめて、副業だけの収入になったら、副業が本業になって、「事業所得」に。そうすれば、「青色申告」が可能となり、税制上の控除などが増える。

・そのときは、税務署で開業届出書などなどの提出必要となる。

 

大橋弘明『サラリーマンの副業の税金が全部わかる本』自由国民社(2021)

うちの「ごはん」のシステム。「一汁一菜でよいという提案」

一人暮らしで、外食・コンビニ飯などが中心のずぼらな方。20代、30代の独身男性が多いでしょうか。「一汁一菜」、おすすめします。お金もたまるし、健康になれる気がします。わたしは、以前なら食費、月々4,5万。今は2万を切っています。

 

一汁一菜でよいという提案

わたしの「ごはん」は基本、一汁一菜です。

一汁一菜とは、ご飯を中心とした汁と菜(おかず)。その原点を「ご飯、味噌汁、漬物」とする食事の型です。土井善晴『一汁一菜でよいという提案』新潮文庫、p.16

これは、土井善晴さんという方の書かれた『一汁一菜でよいという提案』という本からの引用です。わたしはこの本にであって、「一汁一菜」を始めました。

わたしは、一汁一菜を始めるまでは、ほぼ毎日外食で、仕事帰りはラーメン屋、定食屋などに足を運び、食事をしていました。外食でなければ、コンビニで弁当。サンドウィッチとポテチとから揚げクンとコーラで夕食を済ませていたこともあります。今思えば、栄養のバランスも悪い上に、お金のかかる雑な食事だったと思います。ほぼ毎日そんな感じだったので、食費は一人暮らしでひと月、4,5万はかかっていました。ちゃんと数えてませんが、下ろしたはずの現金が数枚、気づけばなくなっていたので、そのことを計算に入れると、それくらい使っていたと思います。

 

「一汁一菜」というごはんのシステムを生活に導入してからは、仕事帰りに野菜を買い、つけあわせに惣菜を一品買い、ごはん、味噌汁+αの食事となりました。それまでは、料理というものはほぼ縁がなく、インスタントラーメンをゆでたり、目玉焼きを焼くことすら面倒くさがるほど。一時、出来心で自炊を志しても三日坊主の三日ももたず一瞬で頓挫してしまっていました。そんな自分が、継続してほぼ毎日一汁一菜を継続できているのは何故かというと、「ご飯、味噌汁、漬物」というこの食事システムの「シンプルさ」と「奥深さ」にあると思います。

「シンプルさ」について。

基本的にごはんは、炊飯器で炊くだけなので、作るのは味噌汁だけです。味噌汁も作り方は大体決まっています。

  • キノコや野菜等を用意します。量は、わたしは一人暮らしなので、一食分、味噌汁をよそう器に一杯分くらい。種類は3種類くらいが多いです(しいたけ、豆腐、ほうれん草と言った感じ)。
  • あとは鍋に水を器いっぱい弱注ぐ
  • 出汁のもとを溶かす
  • 具材を入れて火を通す
  • 最後に味噌を溶かす

これだけです。食事の献立など考える必要はなく、考えるのは、味噌汁に入れる具材の組み合わせくらいのものです。シンプルです。「今日、何食べよう」など頭を悩ませる必要はありません。(上の写真は、総菜コーナーで買ったサバの竜田揚げが真ん中に移っています。一汁一菜+αです。)

「奥深さ」について。

これは、やはり素材自体の味わいと言うことだと思います。季節の野菜を八百屋さんで選んで、入れる。余計な味付けをしないので、野菜の味をそのまま楽しむ感じ。不思議と飽きませんし、何より体に良いものをじぶんにあげている気持ちになります。また、切り方を変えるだけでも、同じ「大根」を入れるにしても、触感、見た目が変わりますし、総合的に味わいが変わることにも気づきました。わたしは、今でも味噌汁以外に料理はできませんが、味噌汁づくりを始めて料理も面白いものだなと感じました。切り方ひとつ、素材の組み合わせ一つで変わる奥深さがあることを学んだ気がします。

一汁一菜を始めてよかったこと。

要するに一汁一菜は、シンプルで奥深いから飽きないし、楽です。

だから毎日続けられるのだと思います。

一汁一菜にしてからよかったことはいくつかありますが、その中の一つに食費の変化があります。以前は食費は4,5万はかかっていたとおもいますが、先月(2022年4月)は1万8千円ほど(朝、昼、夕飯で)。

ほかには、健康。運動量は変わりませんが、なぜか顔やおなかの肉が落ちました。

そして、たまの外食の特別感が増し、結果、満足度があがったこと。結果としてQOLが上がった気がします。

ごはんづくりがめんどくさい人、一汁一菜、おすすめします。わたしでできたのだから、たぶん誰でもできます。

2022.5.1 一汁一菜+α

 

qilin.hatenablog.jp

今日も一汁一菜を基本に。中央は、スーパーのお惣菜。半額だったサバの竜田揚げ。

夕食 2022.5.1
  • ごはん
  • たくあん
  • みそ汁 白菜、えのきたけ、さといも
  • さばの竜田揚げ(惣菜。半額)

さといもをみそ汁に使うのは、初めて。輪切りにすれば火の通りが速かったかな?

 

わたしが投資を始めるまで① 金持ち父さんに出会う

2022年2月23日水曜日。

ブログの上の方(タイトル下)にも書いているが、わたしは超絶内向型の人間(MBTIでいうと、INTP*1)で、人に話しかけるのが基本苦手。その日も、職場で働くのが「本当にもう嫌だ」と心の中で泣いていた。「こんなにうまくやれないのは、自分が悪いのでは。自分がおかしいのでは。自分が変なのでは」と自責的な思考にとらわれている。

 

2022年2月24日(木曜日)。

この日は、仕事のつらさからか朝もふとんから出たくなく、時間がなくなりばたばたと支度をしたため、職場で使う鍵を家に置き忘れる。バス停に向かう途中、あわてて家に引き返した。幸い遅刻はしなかったものの、ダッシュして朝から無駄に消耗。

無事仕事を終え、帰宅。PCを立ち上げる。
もともとわたしはエクセルで、貯金額を月ごとに記録している。そのファイルを開くと、来月末=年度末時点で403万くらい貯金はありそうとわかる。社会人になって8年。特別節約を意識しなかったが、それくらいたまっている。財産と言えば財産ではあるが、しかし「こんな小金を貯めたところで何になるのだろう、使い道もないのに」とも思う。わたしが欲しいのは、「お金」ではなくて「時間」だ。人と関わらずに、ひとりでゆっくり過ごせる時間。退屈で退屈でたまには人と話したくなるくらい退屈になるような時間が最高の贅沢だと思う。この小金をどうするか。投資? 増やせるならそれはそれでいいかもしれない。使い道は特にないけど。

 

2022年2月27日(日)

この日は休日。

午後から図書館へ。投資のことを勉強しようと思い、よくわからないがその類のコーナーへ行く。なんとなく『金持ち父さんの投資ガイド入門編』を借りる。ちょっとポップな感じがして読みやすそうだったから。そういえばYouTubeの書籍紹介の動画か何かで、一度見た気がするが何も覚えてない。「金持ち父さん」って、なんかいかにもアメリカの太ったおじさんっぽい感じがする。わたしは体の大きな大金持ちになって南国の豪邸で暮らしたい(偏見)わけではない。図書館からの帰りがけ、カフェに立ち寄って警戒しながら読む。

 

とは言いながらも今振り返ると、わたしはこの本(『金持ち父さんの投資ガイド入門編』)を読むことを通して、確実にお金に対する考え方を変えていくこととなる。

 

*1:INTPとは、MBTIで16に分類される性格類型の内の一つ。“論理学者”型の性格 (INTP) | 16Personalities

きちんと思考を分泌させることの必要性

気分が落ち込むときは、"考えることをやめなければならない"と思っていた。

 

ネガティブな想念の生起は、感情状態に影響を及ぼす。過去の失敗や、誰かに言われた嫌な一言を何度も思い出すと、体は重くなり、気分は重くなる。だからそのような想念=考え事は、意図的に停止しなけばならない、と。じじつ、自分をいじめるような想念の生起をある種の瞑想の方法を使ってすくなくすることで、気分はクリアになることも経験上確かである。

 

しかし、そればかりが対処の方法ではないのではないか。
…と思い始めている。

 

考え事も、一つの生理現象であると考えてみる。つまり、考え事も脳と言う臓器の分泌物であるとするならば、考え事が出現するには、それなりの生理的な必然性があるのではないか、と考えてみる。体温があがれば、汗をかくように。体内に水分が過剰になれば、尿として排出したくなるように。同様に、思考は脳の分泌物であって、思考の分泌にはそれなりの必要性があるのではないか、と考えてみる。もしそうならば、思考の分泌を無理に止めることは心身に負荷をかけることになる。

 

無論その脳の活動が過剰で、バランスを失しているとするならば、脳にしっかり休息を与えるために、考えることを休息するということも大切なことだろう。認知療法的でいう非機能的自動思考、すなわち「非機能的=うまく機能していない」考えが自動的に際限なく生成されることは、無意味に苦しみを生みだす。しかし、脳が考えたがっているのにも関わらず、無理やり考えることを停止することは、脳が必要としているプロセスを邪魔立てすることになるのではないか、とも思う。つまり、脳が考えたがっているのであれば、その自然に任せて、思考の歩みを意識的に展開させてあげるほうがよいのではないか。

 

…ということを今日考えていた。思考はひとつのアウトプットである。思考を抑圧することは、出すべきものをため込むことになる。出すべきものは、出す。そのほうがよい、と思って、そのためにこの文章も書いている。

 

文章をつづること、つまり思考の歩みを進めることは、こころに風を通す。こころで感じられる気配的な何かが、変わる。そして、からだが喜んでいるのを感じる。「あたま」と「からだ」は別物ではない。あたまとからだは協同し得る。逆に言うと、協同しないような仕方で、あたまが勝手に活動することもある。それでは、人はちぐはぐになる。あたまとからだで、人は分裂し、ひとつのわたしになれない。からだが喜ぶような仕方で、あたまには仕事をしてもらわないといけない。