ルオーの道化師
先生、こんばんは。
今日は灰色の雨の中、美術館に足を運びました。
作品はその一つ一つが、異なる質感qualiaを持っています。
絵画の前に立ち、じっと見つめていると、その作品の「手触り」が、わたしのからだの内側に立ち現れてきます。その「手触り」は、作品のaura(雰囲気)と言ってもいいし、素朴に「香り」と表現してもいいでしょう。それは知的分析によって「理解」されるものではなく、ソムリエがワインを「利く」ときのように、そっと嗅がれる類のものです。
じつは、今日はルオーの道化師に会うために美術館を尋ねたのです。わたしは以前、ルオーの名も知らぬ頃、彼の道化師に心を打たれる体験があって、以来彼の絵に惹かれています。今日は近場の美術館にルオーの道化師が来ていると聞きつけ、さっそく足を運んだのでした。
期待していた分、かつてのような衝撃は無かった、というのが正直なところです。
なんの準備も施されていない、まっさらな心に差し込む新鮮さな邂逅は、意欲して得ること能わざるものであることを、承知してはいるのですが。
しかしながら、じいっと彼の顔に見入っていると、幸いにも彼のプレゼンスがひたひたとわたしを訪れてくれました。芸人であり、職人であり、労働者であり、市井の生活者でもある彼。くちびるの穏やかなほほ笑み、目元の深く静かな悲しみ。「あぁ、わたしはこの人にあったことがある」。
ルオーは言ったそうです、私たちは多かれ少なかれ、みな道化師なのだと。
そう、わたしたちの間に彼を見たことはなかったか。わたしはイエスと答える者です。