【目指せFIRE】仕事つらい手取り18万円32歳が、投資で稼いで早期退職目指すブログ

こんにちは、きりんです。哲学・詩・瞑想などが好きな超絶内向型人間。基本人に話しかけるのが恐い。組織で働くの辛すぎて、早く仕事を辞めて半隠遁生活を送りたい。そんな不純な動機から投資で稼いで、早期退職を目指します。

きちんと思考を分泌させることの必要性

気分が落ち込むときは、"考えることをやめなければならない"と思っていた。

 

ネガティブな想念の生起は、感情状態に影響を及ぼす。過去の失敗や、誰かに言われた嫌な一言を何度も思い出すと、体は重くなり、気分は重くなる。だからそのような想念=考え事は、意図的に停止しなけばならない、と。じじつ、自分をいじめるような想念の生起をある種の瞑想の方法を使ってすくなくすることで、気分はクリアになることも経験上確かである。

 

しかし、そればかりが対処の方法ではないのではないか。
…と思い始めている。

 

考え事も、一つの生理現象であると考えてみる。つまり、考え事も脳と言う臓器の分泌物であるとするならば、考え事が出現するには、それなりの生理的な必然性があるのではないか、と考えてみる。体温があがれば、汗をかくように。体内に水分が過剰になれば、尿として排出したくなるように。同様に、思考は脳の分泌物であって、思考の分泌にはそれなりの必要性があるのではないか、と考えてみる。もしそうならば、思考の分泌を無理に止めることは心身に負荷をかけることになる。

 

無論その脳の活動が過剰で、バランスを失しているとするならば、脳にしっかり休息を与えるために、考えることを休息するということも大切なことだろう。認知療法的でいう非機能的自動思考、すなわち「非機能的=うまく機能していない」考えが自動的に際限なく生成されることは、無意味に苦しみを生みだす。しかし、脳が考えたがっているのにも関わらず、無理やり考えることを停止することは、脳が必要としているプロセスを邪魔立てすることになるのではないか、とも思う。つまり、脳が考えたがっているのであれば、その自然に任せて、思考の歩みを意識的に展開させてあげるほうがよいのではないか。

 

…ということを今日考えていた。思考はひとつのアウトプットである。思考を抑圧することは、出すべきものをため込むことになる。出すべきものは、出す。そのほうがよい、と思って、そのためにこの文章も書いている。

 

文章をつづること、つまり思考の歩みを進めることは、こころに風を通す。こころで感じられる気配的な何かが、変わる。そして、からだが喜んでいるのを感じる。「あたま」と「からだ」は別物ではない。あたまとからだは協同し得る。逆に言うと、協同しないような仕方で、あたまが勝手に活動することもある。それでは、人はちぐはぐになる。あたまとからだで、人は分裂し、ひとつのわたしになれない。からだが喜ぶような仕方で、あたまには仕事をしてもらわないといけない。